間違った“強さ”を信じ続けてきた男の末路

僕は今まで“強さ”の意味を間違えて生きてきました。

その結果、もう二度とない学生生活を棒に振りました。

幼少期の父親からの教え

僕は幼少期の頃から「喧嘩に負けるな」、「人前で泣くな」とよく親父に言われていました。

当時の記憶で鮮明に覚えていることがあります。

小1か小2の頃に友達と一緒にDSをして遊んでいたときのことです。

その時に持っていったはずのカセットを無くしたことに気づき、当時の僕はその場でギャン泣きしてしまいました。

家に帰りそれを知った親父にはこっぴどく怒られました。

ソフトを無くしたことではなく友達の前で泣いたことに対しての怒りでした。

そんなことがあり、幼い自分は『人前で絶対に泣かないようにしよう』と決心しました。

格闘技がくれた自信、奪っていった自由

そんな強さを信じ続けたまま小4の頃には格闘技を習い始めました。

『喧嘩に絶対負けたくない』と強く思い始めました。

その反面、負けは許されないというプレッシャーが後々自分の首を締めるようになりました。

負け=存在否定になった

小4の頃までは何とかそんな考えで過ごせていたものの、小5、小6になるとそうはいかなくなりました。

そんな僕が気づき始めたのが体格差の壁でした。

周りの友達よりも成長が遅かった僕は自分より大きな相手に勝てそうにないと薄々気づき始めたのです。

このとき、喧嘩に負ける=自分の存在価値は0になるとまで思い込んでいました。

そして負けるのが怖くなり喧嘩ができなくなりました。

偽りの優しさに逃げるようになった自分

小5で『喧嘩最強キャラ』を演じきれなくなった僕は『誰にでも優しいキャラへ』と変えざるをえなくなりました。

とにかく衝突を避けるようになり周りの友達の意見に流されるがまま過ごすようになりました。

先生や周りの友人からは「優しいね」と言われることが増えました。

ムカつくことがあったとしても喧嘩にならないように自分が我慢しました。

それほど負けるのが怖かったのです。

変われると期待した中高生時代と現実

そんな変な強さを信じ続けたまま中学、高校生になりました。

友達は少なからずできたものの、どちらの学生生活にもいい思い出はありません。

中学に上がる頃には自分の意見というものが言えなくなりました。

友達付き合いも自分が遠慮してばかりで一方的な人間関係しか築けなくなりました。

高校に上がっても結果は同じでした。

こんな人間にはなるな(まとめ)

今思えば変なプライドのせいで学生時代を棒に振ってしまったと後悔している。

親の価値観というのは正しいことが多いけど全部を鵜呑みにする必要は無かった。

過去の幼い自分にアドバイスができるとするなら親の言うこと、価値観が絶対に正しいなんて思わないでほしい。

親だって一人の人間であって完璧なわけない。

自分の頭で考えて自分なりの正しいと思える価値観を育ててほしい。

気づくのが遅すぎた…

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